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2010年7月26日 (月)

10.07 猿ヶ京

 2010年の夏も盛を迎えて、猛暑が続いている最中、一時の涼を求めて群馬・猿ヶ京

へ行ってきた。関越自動車道の月夜野ICを出て、利根川にかかる月夜野大橋を渡る。

1km程も進むと右手に名胡桃城址がある。

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(写真はWikipediaより)

 
 

 
 

この一帶は北条、上杉、武田が覇を競った処で、要所々々には城や砦が築かれている。

岩櫃城、厩橋城(のちの前橋城)、沼田城、箕輪城、白井城、松井田城、平井城等である。

この名胡桃城は真田昌幸が武田勝頼の命を受けて、後北条の沼田城を攻めるために

築城したものである。

 
 

 勝頼が自刃して武田が滅んだあと、真田と後北条の攻防が繰返されるが、豊臣秀吉の

調停で領土が確定される。しかし後北条の城代として沼田城にいた猪俣邦憲が名胡桃城

を攻めて落城させた。天下統一を目論む秀吉は、これを口実に小田原征伐で後北条を滅

ぼし、東北の覇者伊達、上杉も取り込んで事実上の天下制覇を成し遂げる。後北条滅亡

後、この名胡桃城は真田が沼田城に入って安定させ廃城となった。

 
 

 更に三国街道(国道17号)を6km程さかのぼると、左手に「太助ドライブイン」があり、そ

の道路を挟んだ反対側に塩原太助と愛馬「青」の碑が建立されている。塩原太助は一代

で江戸の豪商になった立身出世の人物として、戦前の脩身の教科書にも取り入れられて

いる。また、落語「塩原多助一代記」は三遊亭円朝の得意噺である。

近くには「青」を繋いで別れを惜しんだという松の木もあるそうだ。

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 更に車を7km程進めると赤谷湖(あかやこ)があり、猿ヶ京温泉がある。

湖の奥に聳える山は小出俣山(1749m)等で谷川岳連峰の峰々である。

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この湖は相俣(あいまた)ダム湖で、利根川水系の治水と発電目的で1959年に造られ

た。湖底には猿ヶ京温泉が沈んでいて、近年問題になった八ッ場ダムと同じ条件のダムで

ある。猿ヶ京の場合は源泉が沈まなかったため湖畔に温泉街が再形成されたが、八ッ場

ダムの場合の川原湯温泉の場合はダムが出来ると湖底に源泉が沈むため、ボーリング

で新原泉を掘り当てたものの温泉街の再生がなるかは不明だとされている。八ッ場ダム

は吾妻川の治水が目的であった。この川に沿ってJR吾妻線が走っていて、岩櫃山(いわ

びつ)を背にして郷原駅と群馬原町の中間に岩櫃城址がある。ここは真田の第二の故郷

ともいうべき難攻不落の城で、真田関連の小説に度々登場する。

 
 

 湖畔を少し遡っていくと相俣の交差点があり、ここから県道270号線が関越道の関越

トンネル入り口付近まで深い山を縫って走っている。その交差点から僅かに登ったところ

に「ちのりん村」の看板があって、ここを右折して急な道を登ると周囲に別荘地やバンガロ

ーが点在している。

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 この辺り標高700~800mで、東京や埼玉が36~38度に茹だっていても、こちらはク

ーラー不要である。

 付近にはこんな草花が咲いている。

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猿ヶ京 夜の名残の 月見草

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ほたる袋

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上州の 風に靡くは 虎の尾や

これは岡虎の尾

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タケニグサ(竹似草)

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アジサイ

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 孫たちとテニス。

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クワガタも捕れた。夜に網戸に飛んでくる。

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 温泉街には猿ヶ京関所資料館や「満天の湯」等がある。

ここ猿ヶ京は上杉謙信が雪解けとともに十数回も往復した三国街道であり、この温泉で戦

の疲れを癒したことであろう。

満天の湯

 
 

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猿ヶ京温泉センター

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筆者も若い頃、苗場へスキーに何回か通ったが、この猿ヶ京の道路脇に大きな樽が置か

れているのを記憶している。今度訪れてみてやはり樽があった。

 
 

湖城閣の樽風呂

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近くに道の駅「たくみの里」がある。

→たくみの里

ここには沢山の物作り体験が出来る所がある。

 

バンジージャンプ

かって赤谷湖の入江にかかる水道橋からバンジージャンプが行われていたが、2002年

に重大な事故が発生し、同年9月で廃止されていまは無い。

 
 

猿ヶ京の名前は上杉謙信がつけた

「猿ヶ京三国温泉郷ポータルサイト」によると(写真も)

 戦国時代、越後の上杉謙信が三国峠を越えて群馬県のこの辺りに来た時のお話。

その夜謙信は大好きなお酒を飲み、温泉に浸かり、気持ちよく眠りについた所、奇妙な夢

を見ました。宴の席でごちそうを口に入れたとたん、前歯がいっきに8本も抜け、手の中に

落ちてしまうという夢です。戦の前にいやな夢を見たと家来に言うと、「片っ端から関八州

(群馬県を含む関東地方全域)を手中にするという、縁起の良い夢でございます」と言いま

した。

 その日はちょうどさるの年、さるの月、さるの日、そしてなんと謙信の生まれ年もさる年だ

ったことから、「この地をさるが今日と改めるぞ」と、謙信も上機嫌になりました。

この『さるが今日』が文字も変わって『猿ヶ京(温泉)』と呼ばれるようになったといわれてい

ます。

逆さ桜

Sakasa

 

 「天文二十一年(一五五二)の春、上杉謙信が始めて三国峠から関東に兵を出した時、

この地に小休止し馬よりおりて上杉憲政ゆかりの日枝神社を参拝した。この時謙信は、春

日山より持参していた桜の鞭を境内に逆さに挿して、もしこの桜に芽が吹けば出陣の幸先

が良いものとして、謙信の希望をこめて占いをした。ところが不思議にも、この桜の木がす

くすくと成長をして数年ならずして花が咲き成木したと言われている。」

この桜は赤谷湖の湖畔にある。

 
 

やっぱり温泉はいいものですな!

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