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2010年11月 6日 (土)
10.11第8回 東西ゴルフ/三重
帰着して走行距離を見ると、出発時零に設定していた距離計が1,045kmを表示してい
た。
11.4の未明3時45分に自宅を出て、同53分に近所に住む杉浦君を迎えに行った。彼は
既に所定の場所で待っていてくれた。高島平から首都高速に乗り、池袋、新宿、渋谷を地
下道で走り抜け、巨大なループの大橋ジャンクションを2回転ほど登っていくと首都高速3
号線に通じている。
東名高速の起点である用賀を通過して東京料金所のゲートを潜ったのは4時半すぎだ
ったろう。そこからグッとアクセルを踏み込んで120km程に加速して、一路伊勢道の津IC
を目指してハンドルを握りしめた。高島平から津までは429km、所要時間は4:58分と
出ている。目標到着時間は津カントリー俱楽部でのスタート10:04分に合わせて9:30分
である。
途中、1時間毎に運転を交替しながら、トイレ休憩を除いて走り続け9時過ぎに津ICに到
着した。予定時間よりも30分も早く着いてしまった。早朝だったので渋滞に遭わなかった
ことや少し飛ばしすぎたのが原因だろう。
このゴルフ場は、この辺りでは名門だそうで、俱楽部ハウスはレンガ造の重厚なもので
あった。
何かの手違いなのだろうが、東京組の内2人が名古屋からの電車に乗り遅れて、スター
ト時間が10時25分に延期となった。9時過ぎに到着した我々二人は時間を持て余す事と
なってしまった。(今回は筆者は何も手伝いせず、全て関西の方のお世話になった)
そのため、朝食やパットの練習を時間をかけてやる事ができた。
パット練習場
インコースからのスタートで、岡本さんはいつものように飄々とフェアーウエーど真ん中に
ボールを難なく運ぶ。しかも距離が相当出ている。たいしたものだ!
画面には写っていないが、ティーグランドに立ってみると左右に白杭があり、フェアーウ
ェイは狭くてうねっていてグリーンは傾斜がきつく相当に難易度の高いコースであった。
目を凝らせば、彼方に伊勢湾が望めるのだろうが、そんな余裕は無い。
背後には鈴鹿山脈が連なっている。
例年に比べて紅葉は遅いようだ。
前の組みのショットを見守る面々。
橋本さんだろう、コンパクトで正確なスイングの持ち主だ。
クラブハウスが近くにあり、影も長く伸びているので最終ホールだろう。
4時近い時間のはずだ。
加嶋さんのスイングはいつもダイナミックだ!
加嶋さんがバンカーで4回ほど打っても出なくて苦闘されたが、橋本さんの助言で
難無く出せるようになった。それは、打つときに右腕を使いすぎてフェースが被って
いたのを矯正するものであったように思う。
筆者もゴルフをやり始めの頃、バンカー恐怖症だったが、金井清一プロのゴルフ
番組で、クラブを開いて左足体重のままで打つよう教わってから、バンカーはラフ
よりも楽になった経験がある。
ここでバンカーショットの基本を思い出してみる。
1。ボールが砂の上にあるときは、上げる程度に応じてクラブを開き、その開いた
分だけホールの左向きにアドレスする。ヘッドはボールの手前10cmに入れ
ボールの下に生えている根を断ち切るようにスイングする。金井プロはこの時
左足体重のままで、体重移動しないで打てと指導する。
2。ボールが目玉になっているときは、クラブは閉じたままで打ち込み、脱出のみ
を最優先する。体重移動も払い打ちもせず砂の中に打ち込んでお終い。
3。距離のあるバンカーショットは、芝生の上と同様に打ち、距離感でスイングする。
一日目の成績
1位 森、 2位 加瀬、 3位 加嶋
入浴後、次の日のゴルフ場へクラブバスで移動した。
津カントリー倶楽部から20分ほど走ったところのメトロポリタン倶楽部だ。
今回の参加メンバー
左から松本、佐藤、橋本、加嶋、岡野、杉浦、岡本、森、曽我部さん。
上の写真に写っていない山田、加瀬さん、そして橋本さん。
谷口さんのお顔が見えないのが寂しい限りだ。
このゴルフクラブには大きなホテルが併設されている。
後ろの大きな建物は同時通訳設備もある各種会議室を備えたもので154部屋のホテル
でもある。
このゴルフ場では2人乗りの電動カートを利用し、グリーン乗り入れもOKとなっている。
晴れ渡り絶好のゴルフ日和であった。
グリーンは果てしなく大きく、しかも傾斜がきつくて、ナイス・オンに気を良くして近づいてみ
るとボールはころころと転がって無残にもカップから遥かな位置にある事が多かった。
山田さん、これでは右腕が返りすぎて多分チーピンでしょうな。
ここも背後には鈴鹿山脈が広がっている。
こういう難しいホールも待ち受けている。
17番、18番ホールは改修中なのだろう。
これは17番から18番のティーグランドを望んだもの。
18番は凄い打ち下ろしで、最後は浮島のグリーンである。
筆者は4オンしたものの、4パットでパー5を8打の散々なスコアだった。
このゴルフクラブのルールは独特で、OBが無いのだ。
赤杭を超えて入ったボールは1打罰で近くに出してプレー出来るのだ。
本来なら1打罰で元の位置から打ち直しか、前進4打でしょうに!
筆者は他のゴルフ場ルールでやっている”打ち直し”を実行した。
そう言えば、西武系のゴルフ場も白杭が無くて、どんなに険しい場所に
打ち込んでも打てる限り打ってよい方式だったかな?
ニ日目の成績
1位 曽我部、 2位 森、 3位 杉浦
東西対決の結果は、一日目は西軍の勝ち、二日目は東軍の勝ちで結局イーブンで引き
分けとなった。
折角伊勢路まで来たので、帰り道とは反対方向だが伊勢神宮を参拝して帰ることにし
た。伊勢道の津ICから伊勢IC間は、都合のいいことに「無料化社会実検区間」とのこと
で高速料金は掛からない区間だった。
正面の鳥居は内宮へ向かう宇治橋の手前の宇治橋鳥居。
これが宇治橋鳥居
五十鈴川
向こうのこんもりとした木々の遥か向こうに御正宮がある。
第一鳥居
皇室のご祖神である天照大御神をおまつりしてある御正宮
写真の撮影が許されるのはこの石段の下までである。
神楽殿、祈禱の神楽を行う場所。
帰るとき宇治橋を渡って右折すると、土産物屋とか飲食店、旅館などが軒を連ねている。
あの有名な「赤福」を我が女房殿の土産に購入。
まさか、もう残り餡の使い回しはしていないでしょうが・・・・。
同行の杉浦君も同様に奥様の土産に購入。
今日11月5日は、倭姫命(やまとひめのみこと)の例祭日だそうです。
この倭姫命は、諸国を行脚して、かって宮中に祀られていた天照大御神をこの伊勢の地
に祀った命だそうだ。
途中、浜名湖SAで「うなぎ定食(竹・2,500円)」の夕食を食べたが、値段の割には旨く
なかったなあ。この辺りは関東風の蒸すやり方と関西風の直焼の境目なんかだろうか?
参拝を終えた初老のゴルファー二人は、その後500kmを走って一路埼玉まで車を走ら
せた。我が家到着は11時過ぎであった。
やっぱ少々疲れたかな!でも楽しい2日間でありました。
来年6月には、神戸ー茨城を結ぶ航空機を利用した「宍戸ヒルズ」
「ロペ倶楽部」 or 「ジュンクラッシック」 またはその両方でも企画
してみようと思う。
神戸ー茨城間は往復で2万円以下で利用出来て新幹線よりはるかに安い。
ただ、神戸→茨城は 8:25→9:40と茨城→神戸 10:40→12:05の2
本しか運行していないのが難点である。
<終わり>
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10.07 猿ヶ京
2010年の夏も盛を迎えて、猛暑が続いている最中、一時の涼を求めて群馬・猿ヶ京
へ行ってきた。関越自動車道の月夜野ICを出て、利根川にかかる月夜野大橋を渡る。
1km程も進むと右手に名胡桃城址がある。
(写真はWikipediaより)
この一帶は北条、上杉、武田が覇を競った処で、要所々々には城や砦が築かれている。
岩櫃城、厩橋城(のちの前橋城)、沼田城、箕輪城、白井城、松井田城、平井城等である。
この名胡桃城は真田昌幸が武田勝頼の命を受けて、後北条の沼田城を攻めるために
築城したものである。
勝頼が自刃して武田が滅んだあと、真田と後北条の攻防が繰返されるが、豊臣秀吉の
調停で領土が確定される。しかし後北条の城代として沼田城にいた猪俣邦憲が名胡桃城
を攻めて落城させた。天下統一を目論む秀吉は、これを口実に小田原征伐で後北条を滅
ぼし、東北の覇者伊達、上杉も取り込んで事実上の天下制覇を成し遂げる。後北条滅亡
後、この名胡桃城は真田が沼田城に入って安定させ廃城となった。
更に三国街道(国道17号)を6km程さかのぼると、左手に「太助ドライブイン」があり、そ
の道路を挟んだ反対側に塩原太助と愛馬「青」の碑が建立されている。塩原太助は一代
で江戸の豪商になった立身出世の人物として、戦前の脩身の教科書にも取り入れられて
いる。また、落語「塩原多助一代記」は三遊亭円朝の得意噺である。
近くには「青」を繋いで別れを惜しんだという松の木もあるそうだ。
更に車を7km程進めると赤谷湖(あかやこ)があり、猿ヶ京温泉がある。
湖の奥に聳える山は小出俣山(1749m)等で谷川岳連峰の峰々である。
この湖は相俣(あいまた)ダム湖で、利根川水系の治水と発電目的で1959年に造られ
た。湖底には猿ヶ京温泉が沈んでいて、近年問題になった八ッ場ダムと同じ条件のダムで
ある。猿ヶ京の場合は源泉が沈まなかったため湖畔に温泉街が再形成されたが、八ッ場
ダムの場合の川原湯温泉の場合はダムが出来ると湖底に源泉が沈むため、ボーリング
で新原泉を掘り当てたものの温泉街の再生がなるかは不明だとされている。八ッ場ダム
は吾妻川の治水が目的であった。この川に沿ってJR吾妻線が走っていて、岩櫃山(いわ
びつ)を背にして郷原駅と群馬原町の中間に岩櫃城址がある。ここは真田の第二の故郷
ともいうべき難攻不落の城で、真田関連の小説に度々登場する。
湖畔を少し遡っていくと相俣の交差点があり、ここから県道270号線が関越道の関越
トンネル入り口付近まで深い山を縫って走っている。その交差点から僅かに登ったところ
に「ちのりん村」の看板があって、ここを右折して急な道を登ると周囲に別荘地やバンガロ
ーが点在している。
この辺り標高700~800mで、東京や埼玉が36~38度に茹だっていても、こちらはク
ーラー不要である。
付近にはこんな草花が咲いている。
猿ヶ京 夜の名残の 月見草
ほたる袋
上州の 風に靡くは 虎の尾や
これは岡虎の尾
タケニグサ(竹似草)
アジサイ
孫たちとテニス。
クワガタも捕れた。夜に網戸に飛んでくる。
温泉街には猿ヶ京関所資料館や「満天の湯」等がある。
ここ猿ヶ京は上杉謙信が雪解けとともに十数回も往復した三国街道であり、この温泉で戦
の疲れを癒したことであろう。
満天の湯
猿ヶ京温泉センター
筆者も若い頃、苗場へスキーに何回か通ったが、この猿ヶ京の道路脇に大きな樽が置か
れているのを記憶している。今度訪れてみてやはり樽があった。
湖城閣の樽風呂
近くに道の駅「たくみの里」がある。
ここには沢山の物作り体験が出来る所がある。
バンジージャンプ
かって赤谷湖の入江にかかる水道橋からバンジージャンプが行われていたが、2002年
に重大な事故が発生し、同年9月で廃止されていまは無い。
猿ヶ京の名前は上杉謙信がつけた
「猿ヶ京三国温泉郷ポータルサイト」によると(写真も)
戦国時代、越後の上杉謙信が三国峠を越えて群馬県のこの辺りに来た時のお話。
その夜謙信は大好きなお酒を飲み、温泉に浸かり、気持ちよく眠りについた所、奇妙な夢
を見ました。宴の席でごちそうを口に入れたとたん、前歯がいっきに8本も抜け、手の中に
落ちてしまうという夢です。戦の前にいやな夢を見たと家来に言うと、「片っ端から関八州
(群馬県を含む関東地方全域)を手中にするという、縁起の良い夢でございます」と言いま
した。
その日はちょうどさるの年、さるの月、さるの日、そしてなんと謙信の生まれ年もさる年だ
ったことから、「この地をさるが今日と改めるぞ」と、謙信も上機嫌になりました。
この『さるが今日』が文字も変わって『猿ヶ京(温泉)』と呼ばれるようになったといわれてい
ます。
逆さ桜
「天文二十一年(一五五二)の春、上杉謙信が始めて三国峠から関東に兵を出した時、
この地に小休止し馬よりおりて上杉憲政ゆかりの日枝神社を参拝した。この時謙信は、春
日山より持参していた桜の鞭を境内に逆さに挿して、もしこの桜に芽が吹けば出陣の幸先
が良いものとして、謙信の希望をこめて占いをした。ところが不思議にも、この桜の木がす
くすくと成長をして数年ならずして花が咲き成木したと言われている。」
この桜は赤谷湖の湖畔にある。
やっぱり温泉はいいものですな!
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